日本には創業100年以上の企業が2万社以上ある。こうした長寿企業の多くは持続的な成長を目指す独自の経営理念を持ち、顧客や従業員、地域社会との結びつきを大切にしている。日刊工業新聞社は2011年に長寿企業に学ぶ「100年経営の会」を立ち上げた。目的の一つは多くの危機を乗り越えてきた経営を長寿経営として理論化し情報発信すること。会員企業の歴史から長年培われた日本型経営の優れた点を探る。
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岡谷鋼機
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[2012年4月10日]
質実剛健の企業風土
1669年に創業し、340年余の歴史を刻んできた老舗鉄鋼商社の岡谷鋼機。名古屋市中区の現本社所在地で農具などを扱う金物屋を構えたのが始まりだ。その後は鉄鋼商社として発展し、今やグローバル企業へと成長を遂げた。 常に新しい分野に挑戦してきた同社だが、変わらなかったのは「質実剛健、理非曲直の企業風土」(岡谷篤一社長)。名古屋という土地柄から育まれた堅実な企業風土が長きに渡る事業継続を可能にした。
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[2012年4月10日]
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島津製作所
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[2012年4月3日]
京都の先端産業を育成
都が京都から東京に遷都された1869年。1000年にわたって繁栄してきた京都では、遷都後の発展が危惧されていた。しかし、1875年に創業した島津製作所が、後に京都で花開いた機械や電子部品など先端産業の礎を築くことになる。 創業者である初代の島津源蔵氏が、理化学器械の製造を始めた木屋町二条は、1870年に科学技術の研究機関「舎密局(せいみきょく)」が設立された日本の近代科学技術の発祥の地といえる。舎密局には源蔵氏も頻繁に足を運んだ。この地には勧業場や栽培試験場、綿工場なども集積した。
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[2012年4月3日]
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昭和鉄工
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[2012年3月27日]
ボイラ核に 事業多角化
2011年夏、世界中から注目された東京電力福島第一原子力発電所の復旧作業現場に昭和鉄工のクーラーがあった。配管工事不要の独立型という特徴が、急ごしらえの宿舎でも活躍。快適な環境をつくり出し、過酷な現場から解放された作業員の疲れをいやした。暖房機器の開発の歴史で蓄積した空調技術が、大いに生きた。 昭和鉄工が持つ、熱を制御する技術は今から約130年前に生み出された。同社は1883年(明16)、福岡市で斉藤製作所として創業した。医療用の蒸気消毒器に始まり、その後も熱を用いる技術と鋳造技術を核に病院用暖房装置、鋳鉄製ラジエーター、鋳鉄製ボイラなどの製品を世に送り出している。ドイツや米国などからの輸入品に頼っていた機器を国産化したことは当時、高い評価を受けた。
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[2012年3月27日]
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キリンビール
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[2012年3月13日]
新ジャンル・海外に活路
キリンビールは東日本大震災で被災した仙台工場(仙台市宮城野区)で、震災後の夏に岩手県遠野市で収穫したホップを使った「一番搾り とれたてホップ生ビール」を仕込み、昨年の11月2日から出荷を再開した。今年2月15日には瓶ビール製造ラインを再稼働し、工場の完全復旧を果たした。 「雇用も含め仙台工場は東北の需要な拠点。これからも震災に強い工場として地域とともに生きていく」(松沢幸一キリンビール社長)。
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[2012年3月13日]
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司牡丹酒造
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[2012年3月6日]
イベント通じ 日本酒PR
「牡丹(ぼたん)は百花の王、さらに牡丹の中の司たるべし」―。高知県の酒造会社、司牡丹酒造の「司牡丹」は、明治維新の元勲である田中光顕が命名したブランド名だ。田中は高知県佐川町出身で郷土の酒を愛飲していた。また、昭和初期に高知県初の首相になった浜口雄幸は「芳醇無比」と司牡丹を褒めたたえた書簡を送付。幕末の志士である坂本龍馬も司牡丹を飲んでいたと言われる。司牡丹は「土佐の偉人と縁がある」(竹村昭彦社長)。
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[2012年3月6日]
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鈴廣蒲鉾本店
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[2012年2月28日]
天然素材で「本物」作り
消費の冷え込みが続く。鈴廣蒲鉾本店の売り上げで大きなウエートを占める年末年始商戦も前年並みにとどまった。しかし「こういう時こそ良いものから売れていく」(鈴木智恵子会長)という手ごたえ通り、天然素材にこだわり、製造技法の革新を重ねた高級品への支持が集まった。 同社は創業から147年。神奈川・小田原で地元で揚がる豊富な水産物と恵まれた水を生かし、かまぼこを作り続けてきた。同族経営の良さを守りつつ、トップの急逝などの危機を乗り越えてきた。50年前、本社・工場を相模湾沿いから海から離れた国道1号沿線の現在地に移転する際も、親子で激論が交わされた。
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[2012年2月28日]
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NiKKi Fron
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[2012年2月21日]
時流に合わせて業態転換
NiKKi Fronの前身である日本機材を設立した春日栄太郎氏が残した言葉に「創業不易守成又難(そうぎょうふいしゅせいまたなん)」がある。創業の難しさと企業を守り続けることの困難さを説いた。現社長の春日秀之氏は「創業から素材にこだわる一方で時流に合わせて柔軟に業態を転換していった」ことが存続につながったと、先達の歩みを振り返る。 創業者の栄太郎氏は1896年に長野市の善光寺近くに創業した麻問屋の春日商店の2代目。ところが太平洋戦争中に麻が軍事統制物資となり廃業の危機に陥った。家業を救うため上田蚕糸専門学校(現信州大学繊維学部)に入学し、麻と絹を使った「絹麻パッキング」を開発。軍に提案して軍需指定工場となったことが日本機材の設立につながった。
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[2012年2月21日]
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セラリカNODA
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[2012年2月14日]
伝統産業と現代化学 融合
「徹底して農薬フリーの原材料にこだわった」。動植物が分泌する天然ロウの精製、ロウ製品の販売を事業展開するセラリカNODA(神奈川県愛川町)は、2012年から農薬フリーのミツロウでできたワックスを業界で初めて発売した。 ミツロウとはミツバチの巣からはちみつを取った後のロウのこと。食品や化粧品用のワックスに使うため安全性の高い製品が求められる。原産地は農薬を使用していないアフリカだ。
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[2012年2月14日]
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出光興産
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[2012年1月24日]
「生産者より消費者へ」貫く
「石油をストックしているのは、値上がりで金もうけをするためじゃない。得意先の事業に支障を来さぬためだ。商売繁盛しているのに資金繰りが苦しいのは、出光が消費者直売の営業方針を貫いているからだ」。 創業者であり、今なお店主と呼ばれる出光佐三氏の若き日を描いた映画「日本人」の中で、佐三氏は店員たちをこう言ってたしなめる。1914年、第一次世界大戦が勃発し、石油が高騰する中、出光商会(当時)のみが以前の値段で得意先に卸していたことに、店員たちの不満が爆発。これに対し、佐三氏は「出光にいる限り、一生、金で困ると思え。進む道が違うなら出光を去れ」と一喝する。
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[2012年1月24日]
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キッコーマン
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[2012年1月17日]
"日本の食文化"伝える
日本の代表的な調味料「しょうゆ」を主力商品とするキッコーマン。だが、同社の海外事業の歴史はすでに半世紀を超え、2017年の株式会社化100周年を前に売上高で過半となることは確実だ。 海外事業の売上高は11年3月期で45%、営業利益では62%に上る。直近の12年3月期第2・四半期でも海外で順調な伸びを示し、北米、欧州だけでなく、中国・インドを含むアジア、さらに南米、アフリカへと新たな市場が広がる。
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[2012年1月17日]