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地域フォーラム@京都
テーマ:老舗フォーラム~100年経営を考える~

100年経営の会と京都老舗の会が主催し、日刊工業新聞社と京都府が共催、近畿経済産業局などが協力する「老舗フォーラム 100年経営を考える」が2月21日京都市伏見区の京都パルスプラザで開かれた。同所で開かれた京都ビジネス交流プラザと同時開催。100年経営の会理事もつとめる服部重彦島津製作所会長と、佐竹力総美濃吉社長、鈴鹿且久聖護院八ッ橋総本店社長という、長い歴史を持つ3社のトップによる鼎談(ていだん)「企業の継続について 危機への対応を中心に」に、京都だけでなく関西一円や全国から集まった聴衆が聞き入った。会場を移した交流会では登壇者や、モンテカセム立命館学長特別補佐(100年経営の会顧問)、野田泰三セラリカNODA社長(同監事)らを中心に、長期持続的成長を目指す企業経営のあり方などについて活発な意見が交わされた。


主催者あいさつ
100年経営、理論的分析世界に発信

100年経営の会 会長 北畑隆生氏

100年経営の会が発足したのは2011年10月。3月11日に東日本大震災が起こり、経済界もリーマン・ショックからようやく立ち直った時にまた大きな危機を迎えたと自信を失っておられる方が多かった。そこで同年8月に日刊工業新聞社と「危機克服を考える」と題し長寿企業トップに登壇いただくフォーラムを開いた。ちょうど100周年を迎えて「出光の資本は金でなく人だ」と話された出光興産・天坊昭彦会長(当時)、お客様重視を続けてこられたキッコーマン・茂木友三郎名誉会長、阪神大震災後地元の皆さんに助けていただいたという神戸製鋼所・佐藤廣士社長(当時)のお話から、100年続く経営の中にさまざまな危機を突破するヒントがあることを学んだ。
 
当会は大学などの研究者、経済産業省などからも支援いただき、100年経営を理論的に分析し世界に発信しようという活動を続けている。キーワードは、良き伝統を守りながら経営革新にも常に取り組む「伝統と革新」、得意分野で足元を固め着実な成長を目指す「持続的発展」、社長以下一丸となって取り組む社是がある「アイデンティティー」という三つだ。
 
こうした経営理念は日本だけでなく世界に通用するはず。それを京都老舗の会とも協力して理論武装し、日本から発信していきたい。


京都府あいさつ
「危機管理」にも焦点

京都府商工労働観光部長 田中準一氏

京都府は100年以上の歴史を持つ企業を「京の老舗表彰」として1968年以来これまで1800社以上を表彰してきた。表彰した皆さまを中心に一昨年、京都老舗の会を立ち上げ、活動を行っている。今般、100年経営の会、日刊工業新聞社、近畿経済産業局といった関係各位の力添えを得てフォーラムを開催することとなった。これまで老舗の会のフォーラムは経営の神髄を探るテーマで行ってきた。今回はさらに、危機管理という面にも焦点を当てて議論する。登壇されるのも伝統を守りつつ新しい試みに取り組んでおられる3社だ。

鼎談
企業の継続について~危機への対応を中心に~

登壇者
 島津製作所 会長・100年経営の会理事 服部重彦氏
 美濃吉 社長 佐竹力総氏
 聖護院八ッ橋総本店 社長 鈴鹿且久氏
コーディネーター
 龍谷大学 経済学部准教授 辻田素子氏

辻田氏

■辻田 京都は日本文化の中心として1200年以上輝き続けてきたが、地震などの自然災害、戦争、東京への遷都と数多くの試練を乗り越えてきた。京の老舗は経営環境の激変をしなやかに生き抜いてきた企業群。共通点は長期的な経営視点があること、顧客を大事にしブランド力や信用を重視すること、従業員を家族のように考え長期雇用すること、地域社会へも貢献することだ。老舗企業のみなさんに危機への対応を伺い、骨太の経営について考えたい。


カギ握るリーダーシップ 服部氏

服部氏


■服部 1875年(明8)に島津源蔵が創業し、48年後の1923年(大13)に関東大震災があった。東京の拠点は崩壊し、創業以来初の大きな赤字となった。モノづくりは京都に移し、海外のビジネスを増やすなどして乗り越えた。半世紀後の創業100年の75年、オイルショック後の円高で2度目の赤字決算となった。この時は欧米やシンガポール、ブラジルなど海外で再び攻めの経営にまい進し、コストダウンも徹底した。このあたりまでは同族経営だったが、超円高などの影響で赤字となった2001年の3度目の危機は社員からの社長が立て直しを行った。長年重要であった医療機器のMRIなどをやめたほか選択と集中を進め、一部ではあるが希望退職も募った。危機を乗り越えるにはいろいろな手法があるとわかる。

危機意識持ち革新に挑戦 佐竹氏

 

佐竹氏

■佐竹 私でちょうど十代目で、あと3年で300周年を何とか迎える。飲食業は実は3年もてば老舗だという。毎日が失敗の連続だがそれを乗り切ってきた。昭和初期には空前の京都ブームがあり、うちも縄手に大きな料亭を開き一世を風靡(ふうび)した。しかし、第二次世界大戦中の1944年には一時休業せざるを得ず、粟田口に再開したのは50年のこと。経営していた祖父はすぐ固定客が戻ると考えたがそうならなかった。のれんがあってもそれはあてにはならず、実力で行かなければと痛感した。祖父は55年に志半ばで急逝し、官僚だった父が戻ってきた。そして58年には阪神百貨店に出店。その後合掌造りの民芸食事処の開店、ファミリーレストランへの進出、本店・竹茂楼の建設など偶然にも10年ごとにのるか反るかの勝負の時が来ている。伝統とは革新の連続であり、革新は危機意識を持って臨むことだと思っている。また最高級の商品をつくらないと店は維持できない。目指すのは京料理の裾野を広げる「富士山型経営」だ。人材も大切と考え、67年以降毎年20人から30人を採用して自社で調理師を育成している。これがチェーン展開にも役立っている。

人とのつながりを大切に 鈴鹿氏

鈴鹿氏

■鈴鹿 八ッ橋は人名で、江戸初期の筝曲の師、八橋検校からいただいている。ゆかりの琴の形で菓子を作るなど、明治初期まで聖護院の地で細々と茶店を続けてきた。明治になり鉄道網が広がって今の京都駅で販売するなどして八ッ橋が全国に知られ、聖護院八ッ橋の商標登録もした。大正期には京都でも初めて菓子屋として法人組織とした。一番大変だったのはやはり戦争末期で、八ッ橋の原料である砂糖と小麦粉が統制で入らず、破産状態にもなった。その時は人のつながりというか、外部から資産面で助けていただくなどして事業を続けた。父にも言われてきたが人とのつながりは大切で、社員の皆さんとも家族同様に付き合っている。私たちは老舗になろうとしてなったわけではない。会社と商品を長く続けることが本分と考え、知らないうちに300年がたったと感じる。あまり大きな規模にず時代の変化に対応すべきで、良い時は膨らませ、厳しくなった時はすぼめられる「提灯(ちょうちん)経営」を自称している。危機ということでは私が31歳の時に父が急逝して社長を引き継ぐことになり、やっていけるか不安だったことがある。将来は娘が継ぐが、心豊かに会社を続けていってもらいたい。

■服部 お二人の話を伺ってわかるように、危機を乗り越えるにはやはりトップのリーダーシップが大切だ。それからそれぞれの企業の強みを深掘りすること、また人材も大切だ。働いていて生きがいを感じられるような会社をつくらなければならない。


■辻田 京都企業の信頼関係は長年受け継がれていくものですね。
 
■佐竹 料理業界は仲が良く、いくつかの組合に入るなどして精神的にも支えになっている。よその調理師さんに平気でノウハウを聞いたりする。ここの料理屋さんはこれが得意、といったすみ分けの商道徳を節度と品位を持って守っている。
 
■鈴鹿 八ッ橋の組合は14件あり仲良くやっている。皆の気持ちは八ッ橋を残していきたいということ。父からは地域を大切にするようにいわれてきた。今後も一生現在の聖護院で商売していく。
 
■服部 京都の企業は本店を東京に移す意思などない。コミュニティーの中で議論をし、情報交換をする。ビジネスも直接海外と行っている企業が多い。また産学連携がやりやすい基盤があることも強みだ。
 
■辻田 持続的な経営についても伺いたい。
 
■佐竹 我々オーナーは個人保証するなど命をかけている。経営はマラソンでなくいわば駅伝で、いかにバトンタッチするかだ。長男は私を反面教師として違うことをするだろうが、実は今、一つ先の代を見越して孫を私なりに一生懸命教育している。
 
■鈴鹿 ファミリー企業の良さは話し合いながら代々事業の軸を継承できること。娘も八ッ橋のファンを増やす新しい取り組みを進めている。

■服部 代々の社長は目に見えぬ伝統を受け継いで動いてきたように思う。今でも初代源蔵氏の命日に妻とお参りする。昔の私を知る人が聞けば驚くだろうが。 (敬称略)


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