「不変と革新」

小島鉄工所

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先人の歩み次代の指針に

長年にわたり受け継がれてきた技術が現場に息づく

江戸後期に創業

小島鉄工所は2009年に創業200年を迎えた。江戸時代後期に鋳物屋として創業して以来、産業の近代化に伴い求められる製品を世に送り出し、今や油圧プレス専業メーカーとして確固たる地位を築く。激動の時代を生き抜いてきた企業のスローガンが「お客様との信頼関係の構築」「お客様や社会のニーズに適合した製品の創造並びに新製品の開発創造」「お客様の満足を得るための挑戦」の3条項だ。
 
このスローガンは児玉正蔵社長が02年に就任した際に掲げられた。長寿企業にしては、理念の歴史が浅い印象を受ける。以前は「その時の社長が自らの信念を伝えることはあったが、理念を掲げていたことはなかったと思う」(児玉社長)。異質の文化を採り入れたのには理由がある。
 
就任時は「最悪の時。業績も悪く、会社が沈んでいた。正直言って危なかった」(同)。伝統ある企業の復活を果たす上で、社員に明確な方向性を示す必要があると判断。選んだ言葉が信頼・創造・挑戦だった。「すべてのステークホルダーとの信頼関係ができないと仕事にならない。新しいものを作っていかなければ会社が途絶えてしまう。挑戦するスピリットがなければ信頼も創造もできない」(同)。この言葉には由来がある。児玉社長は「先人たちの努力を象徴した言葉だ」と強調する。
 
鋳造所としてスタートし、1885年(明18)に機械製造を開始し、しょうゆ醸造用の水圧プレスを開発。戦時中は大型の油圧プレスを完成し、軍需工場となる。戦後連合軍に管理下に置かれ、1953年(昭28)に油圧プレス製造を中心に再出発。戦後の産業発展とともに発電所建設や造船、建設機械、家電、自動車、航空宇宙機と多くの分野にプレス機を納入していった。

応用の繰り返し

「うちが作ってきたような物には寿命があり、一定量納めてしまうと次の物を作らなければ立ちゆかなくなる。次の物は今作っている物を基礎に応用した物。この応用を繰り返し今に至っている。先人がその都度努力されて命をつないできた」(同)。スローガン制定は先人から受け継ぐべき企業のDNAを明文化した行為に違いない。
 
受け継がれた企業DNAが、新たな歴史を刻んでいる。14年に国内最大級の1万6000 のプレスを開発し納入するなど、顧客が望む最新鋭の製品を世に送り出している。力を注ぐ海外事業でも販路を広げており、今の社員たちが歴史ある伝統の看板をさらに磨き上げている。08年秋のリーマン・ショック以降は苦しい経営が続いているものの、児玉社長は「先人がつなげてきた考え方を守って行けば、どうにかなるだろうという思いがある」と前を向く。先人が歩んできた歴史からひもといた進むべき道をしっかり見つめている。

次の200年へ

「創業200年を超えて、次の200年へ歩み続ける」と話す児玉社長。新たな歴史の扉を開くため企業の進化を追い求める。今後の目標とするのがドイツメーカーに負けない技術とコスト。ただ「今のうちのレベルでは及ばない。より上のレベルにいかなければならない」と指摘。未来に向けた「信頼・創造・挑戦」の実践が次の200年への推進力となる。

企業概要

1809年(文化6年)に朝廷より免許を得て鋳造所として創業。第3代社長の小島弥平氏が機械製造業に乗り出し、しょうゆ製造用水圧機を開発。全国の醸造所の需要に応え、ヒット商品になる。1930年の金解禁後の不況で経営難になり、小島家の手を離れ金融機関の傘下に入る。36年に、小島家と姻戚関係にあった井上保三郎氏が事業を引き継ぎ、井上氏のめいを妻にしていた児玉安蔵氏が鉄工所経営の経験を買われ、第7代社長に就く。児玉正蔵氏は中興の祖、安蔵氏の四男で、第10代社長。


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