「不変と革新」

儀平菓舗

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職人の技守り 自動化も推進

堀本社長は就任以来現場効率化に力を入れてきた

本州最南端の町

本州最南端の町、和歌山県串本町。儀平菓舗はこの地で1893年(明治26)から和菓子作りを続ける。主力の「うすかわ頭」は串本を代表する名物の一つ。最後に″一握り″して仕上げる商品には、今も変わらない。お菓子を通じて顧客を喜ばすという創業以来変わらぬ精神を、一つずつ込めている。
 
35年前、実父から経営を受け継いだ堀本京子社長は3代目。日本の高度経済成長期、変わる社会環境の中で自動化と女性雇用に早くから取り組み、発信力に乏しい一地方の"菓子屋"を成長企業に変えた。「菓子は作れないから口を出してきた」と堀本社長は笑う。
 
就任から間もなく堀本社長は三重県の同業者を見学する機会を得た。機械を導入し、男性2人と女性5人ほどで菓子を作る現場。「職人は大事だが、中心になる人物がいれば女性もできる」と確信したという。当時、同社の現場は男性の職人が4人。女性もいたが、男性中心の職場だった。さらに当時の中核商品「浜そだち」は工程が多く、7人で一品を作る生産性の低さが課題だった。
 
浜そだちの数がそろうとほかの製品がなく、ほかがそろうと浜そだちがない―。「売る機会を逃していた」と堀本社長は振り返る。おいしさにこだわったお菓子も、お客さんに届かなければ意味がない。

"餡炊きの"伝統

そこで餡(あん)を包む包餡機を導入するなど自動化を推進。一方で、商品の包装業務などに女性の雇用を増やした。生産工程の機械化には職人の反発もあったが、空いた時間を新商品開発に当てるよう指示し、改革を進めた。生産の効率化が進むと余裕が生まれ、販路が広がった。商品は和歌山市内の百貨店に置かれ、「儀平」の名は和歌山県内全域に広がった。
 
かつて職人が手がけていた工程の大部分は機械化し、仕事は平準化した。一方で「守るべきは守る」と、職人による"餡炊き"の工程は徹底的に伝統を維持。2代目が作り上げた甘さ控えめの餡は、儀平菓舗の魂でもある。和歌山市内で販売する製品は同市内で作るが、餡は今も串本から毎日、送っている。これもおいしさにこだわり、お客さんを幸せにするという精神の表れだ。
 
現在、安定した売上高を維持する同社にも課題はある。5年後には従業員のほとんどが70歳を超えることだ。このままでは「串本からの発信が難しくなる」と堀本社長は対策を苦慮している。国の「地方創生」に課題解決を期待する。

世代交代

堀本社長は近く、次の経営を甥(おい)で職人を勤める丸山正雄氏に任せる方針だ。丸山氏は横浜市出身の39歳。フェイスブックなどを活用した情報発信や洋菓子テイストの商品開発などに取り組み、「都会で生活していたことも生かしていきたい」と意気込む。
 
常に変化を続けて成長する地方企業の存続には地域の活性化と若者の定住促進も欠かせない。「自治体には豊富な地域資源をもっと活用してもらいたい」と、世代交代を前に堀本社長は行政にも注文を付ける。

企業概要

和歌山県串本町で創業し、今年121年目を迎えた。さまざまな商品を作り上げた2代目の後を継いだ堀本京子社長。機械化と改善活動に取り組み、女性も活躍できる現場の構築に経営者として手腕を発揮してきた。一方、4代目となる丸山正雄氏は、再び職人の立場からより多くの人に楽しんでもらえる菓子を考えていきたいという。今後も原材料と味にこだわった「高付加価値」の商品を守りながら、販路拡大のため情報発信に力を入れる。売上高は非公表。従業員28人。


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