「不変と革新」

旭化成

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挑戦するDNA継承

日本の化学産業の礎を築いたカザレー式アンモニア合成塔

多角化経営

「世界の人びとの"いのち"と"くらし"に貢献します」というグループ理念を掲げる旭化成。石油化学・繊維、住宅、医療・医薬、電子部品・材料と、複数の顔を持つ多角化経営が特徴だ。創業92年の歴史は、技術革新の連続によって作られてきた。既存技術が成熟期に達する前に新たなコア技術を立ち上げ、時代のニーズに合った新しい事業領域を切り開く。根底には創業者の野口遵氏から受け継ぐ「挑戦するDNA」がある。
 
旭化成のルーツは1922年に設立の旭絹織だ。鹿児島県や宮崎県延岡市で水力発電事業を始めていた野口氏は21年の欧州旅行で、空気から抽出した窒素からアンモニアを生産する「カザレー式アンモニア合成法」に出会う。実用化前にもかかわらず現在の価値で100億円相当で特許権を取得。延岡の水力発電を生かし、23年に日本初のアンモニア合成に成功する。アンモニアを硫酸と反応させることで肥料を作れる。野口氏の大胆な挑戦は、化学肥料を輸入に頼っていた日本農業を変え、国内化学産業の礎となった。

現在も主力

アンモニアと綿を原料に再生セルロース繊維「ベンベルグ」の生産を31年に始めたのが、旭絹織から発展した日本ベンベルグ絹絲(現旭化成)。ベンベルグは現在も主力製品だ。
 
もう一つ旭化成の特徴である多角化経営の礎を築いたのが宮崎輝氏だ。61年に52歳で社長に就任すると、ナイロン繊維、合成ゴム、建材といった事業に次々と参入した。

時代は高度成長期。ナイロンなど新規事業は時代の流れに乗り、増設が次々と決まった。66年に入社した伊藤一郎会長は「新入社員でも重要な仕事を次々と担当した。重要な実務を数多く任された経験が人材育成につながっていた」と、当時を振り返る。
 
宮崎氏は10― 20年先に自社の柱となる事業化の検討を常に若手社員と進めた。67年に参入した建材は戸建て事業に発展。電子部品、医療・医薬への参入など、後の旭化成の土台を築いた。「最初は悪戦苦闘しても時代を先読みして、必ず必要とされる時代が来るという強い執念があった」(伊藤会長)。ここにも挑戦するDNAは息づいており、現在のグループスローガン「昨日まで世界になかったものを」につながっている。

ヘルスケアに力

多角化経営の効果で13年度に売上高、営業利益が過去最高を記録した旭化成。このタイミングで浅野敏雄氏が社長に就いた。医薬出身者として初の社長就任は、新しい事業領域としてヘルスケアに注力する姿勢を内外に打ち出した。
 
12年に買収した米救命救急医療機器大手ゾール・メディカルの着用式自動除細動器、在宅透析などの在宅医療。少子高齢化の日本で事業化を進めながら中国など海外展開に乗り出す考えだが、伊藤会長は「新事業に進出して成長しないと次の人材育成もできない」という効果も期待する。時代に応じて主力事業は変わるが、挑戦するDNAを継承する人材育成は変わることはない。

企業概要

国内総合化学各社が汎用化学品の採算悪化に苦しむ中、住宅、医療・医薬部門が好調だった旭化成の年度の営業利益は前期比55・9%増の1433億円を記録。14年度は初の売上高2兆円超を予想する。今後の課題は売上高営業利益率が4・9%にとどまる石油化学事業の収益改善。すでに国内生産再編、高機能化学品の海外生産拡大を打ち出したが18年にも本格化するシェールガス由来の安い化学品にどう対抗するのか経営陣の手腕が試される。


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