「不変と革新」

石川工場

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屋台骨支える明治の発明

1950年代の擂潰機

撹拌しすりつぶす

1897年(明30)に石川平蔵氏が発明した撹拌擂潰機(らいかいき)が、今も石川工場の屋台骨を支えている。固定された「鉢」に一定角度で1ー4本取り付けた「杵(きね)」が、二軸とギアの組み合わせで1分間に数十回、少しずつ異なる軌道で回転。鉢内の粉体などを撹拌しすりつぶす。この機械を1902年の創業以来、1世紀以上作り続けている。
 
「石川式撹拌擂潰機」として登録された特許も既に切れた。しかし、類似機械が現れた時期もあったが、それらは石川工場の擂潰機をおびやかすまでには至らなかった。同社がこだわり続けた「堅牢さ」と「顧客とともに考えてつくる機械」という伝統が、顧客に評価されてきたからだ。
 
ヒット商品と呼ばれるような、大きな市場を席巻する製品ではない。しかし、同社は「日本独自の発明」との自負を持ち、これまで累計10万台以上を出荷してきた。粉体を丁寧に撹拌し、すりつぶす機械は、伝統的な和菓子店で独特な風合いを出すために長く使われているほか、エレクトロニクス関連など幅広い分野で使われている。
 
ユーザーからは「他社に教えたくない隠れた名機」と評されることも多いという。杵が描く軌道は遊星運動的な軌跡であり、これを同社の名刺やホームページにあしらっているのは、製品に対する自信の表れだ。

堅牢性が問題に

ただ、同社が目指してきた堅牢性は、戦後の成長期の需要が一巡した後に難しい問題となった。現在もメンテナンス依頼がある製品は、40年前、50年前といったものがざら。ギアや鉢の消耗はあっても、機構自体のトラブルは少ない。「入社してから定年を迎えるまで石川工場の同じ機械が傍らにあった」といったエピソードが寄せられるほどだ。壊れないので、買い換え需要がなかなか起こらない。
 
それでも「顧客が儲かって工場を増強すれば擂潰機も増設してもらえるはず」(中村雅一社長)と、買い替え需要を派手にあおりもしなかった。
 
しかし、革新に向けた布石は始まっている。2002年には東京都港区芝から江東区辰巳に工場を移転。そして、5代続けて石川家から社長が出ていたが、昨年初めて創業家出身ではない中村社長が就任した。「(機械の)基本機構や、顧客とともに機械を作っていく方針は継承する」(中村社長)が、新たな挑戦もする。半導体基板のベース素材の加工や、スマートフォン関連といった新需要の開拓努力は、早速売り上げ拡大につながっている。

磁器や御影石、メノウ、ステンレスといった鉢と杵の素材の組み合わせを拡大するほか、これまで自動化ラインの中で使いづらかった点などの改良や、安全性向上にカバーを付けたりと時代の変化に合わせたアレンジも進める。アジアを中心に海外展開も着手した。

『信頼』こそ

中村社長は「開発当時は鋳物を多用したことも含めて最先端製品だった。それが今はレトロな機械という印象かもしれない。今後、いかに新技術を落とし込んでいくかが重要」という。それでも「堅牢さも含めて『信頼』こそが当社のビジネスモデル」(同)との姿勢は変わらない。

企業概要

都内の工場などで責任者を務めていた平蔵氏は明治政府の依頼を受け、水産品や粉体などを撹拌し、すりつぶし、混合、練り合わせる機構を考案した。東京・芝で創業した当初は、水産品の加工に用いられた。昭和に入り、二代目の石川治雄氏が磁器製の鉢・杵の精度を上げ、医薬分野や化学、火薬などの需要を開拓。戦後、工業の復興とともに全国の多様な業種の工場で使われはじめ、明治時代の産業・技術を回顧する顕彰にも自動織機などと並んで多数登場している。現在の工場従業員は10人。


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