「不変と革新」

島津製作所

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分析続け、社会に貢献

レントゲン博士死去の翌年から継続するレントゲン祭
毎年2月10日、島津製作所の三条工場京都市中京区では、1923年に亡くなったレントゲン博士の遺影の前で、社長が祭文を読み上げる。X線を発見したレントゲン博士の命日を記念する「レントゲン祭」が始まったのは、博士が没した翌年から。すでに91回目を数える。ただ、いち早くスタートしたのはレントゲン祭だけではない。同社2代目の島津源蔵氏がX線写真の撮影に成功したのは、レントゲン博士がX線を発見した翌年のこと。そして100年以上前に、国産初の医療用X線装置も開発している。

最先端技術で

「科学技術で社会に貢献する」という社是の通り、最先端技術で医療や産業を支えてきた。1875年に理化学機器の製造で創業。その時から追い求めてきた技術の根底は、今もさほど変わっていない。服部重彦会長は「見えないものを見えるように、分析できないものを分析できるようにすること」と解き明かす。あらゆる分野の基盤となる分析技術を追求し続けたことが、同社社員の田中耕一氏が12年前にノーベル化学賞を受賞したことにもつながった。
 
同社が現在力を入れているのが、ライフイノベーション分野だ。特に質量分析計など分析技術の臨床分野への応用では業界をリードする。例えばがん診断で質量分析を応用すれば、採血でマーカー検出する従来方法と比べ、検査精度はケタ違いに跳ね上がる。因果関係の究明にもつながり、創薬にも大きく貢献する。
 
「新しい技術ができると研究テーマはそれ以上に現れる」と服部会長。国内外で多くの研究者と共同研究を進める。分析分野と、X線装置などの医療分野をともに手がけ、これらの分野で同社はもはや無くてはならない存在となっている。

高度成長支える

一方で、日本のモノづくり産業が高度成長期に大きく花開いた背景にも、同社の存在がある。次々と世界をリードしていった製鉄や自動車、石油化学など製造業の発展に分析技術の発展が欠かせなかったからだ。そのころ石油化学業界を担当した服部会長は「昭和40年代は次々とコンビナートが整備されたが、そこで必要となった分析技術はユーザーと一緒になって徹夜で考えた。難しい課題も投げかけられたが、それがモチベーションにもなった。そんな基本は20年後も30年後も変わらないはず」と若手技術者だった時代を振り返る。

新たなステージ

裏方として産業を支えることで成長を遂げてきた同社も、14年3月期には売上高3000億円を初めて突破。ビジネスもグローバルに広がっており、ライフイノベーションをはじめ自ら表舞台に立つ場面も増えてきた。それだけに「もっとダイバーシティー(多様性)を受け入れないと生き残れない。自ら新しいことをクリエイトするには、多様性をエネルギーにすることが必要。社員一人ひとりがその価値を身につければ、本当に強くなれる」(服部会長)と考えている。次の100年に向け、「科学技術で社会に貢献する」という理念は新しいステージに入っている。

企業概要

1875年(明8)に京都木屋町で創業。勧業教育施設の舎密(せいみ)局に通い詰めた、創業者の島津源蔵氏が理化学器械の製造を始めたことが始まりだ。その跡を継いだ長男の2代目源蔵氏は「日本のエジソン」とまで呼ばれる発明家で、蓄電池やX線装置、光学測定器など次々と事業化。この2人が京都の近代産業の基礎を築いた。現在はクロマトグラフや質量分析計などの計測機器に加え、医用、航空、産業機器を手がける。14年3月期の連結売上高は3075億円。


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