「不変と革新」

アシザワ・ファインテック

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時代に合わせ業態変える

創業初期に手がけた蒸気機関車

思い悩む日々

2000年、微粉砕機メーカーであるアシザワの4代目社長に就任した芦沢直太郎氏は、頭を抱えていた。業績は黒字と赤字を行き来する状態。さらに顧客からの技術要求レベルは上がるばかり。国内産業界では生産の海外移転も進んでいた。「会社を存続できるのか。日本でのモノづくりを続けられるのか」と思い悩む日々が続いたという。
 
そうした中で先代の歩みに興味を持ち、会社の歴史をひもといてみた。残念なことに具体的な「創業者の言葉は残っていなかった」ものの、思いを伝える資料を一つ見つけた。それは、1915年に書かれた蒸気機関車の設計図だった。

同社は1903年、海軍の造船所に勤めていた芦沢仁吾氏が東京・月島で蘆澤鐵工所を創業。蒸気機関車などの製造を手がけたのが始まり。23年に関東大震災、45年には東京大空襲にあい、工場や資料は全て失われてしまった。しかし、蒸気機関車の設計図だけは、東京・杉並の自宅金庫の中で被災を免れた。

会社のDNA

直太郎社長はこの設計図を見て「最先端技術に挑もうとする職人魂と、社会の役に立つものをつくろう、という思いを感じた」。同社は鉱山用機械の下請けを経て、粉砕機事業に参入するなど時代に合わせて業態を変えている。これも、時代の最先端技術に挑み、社会の役に立ちたいという思いからではなかったか。明文化されていなくても、紛れもなくそれは同社のDNAだった。
 
このDNAを呼び覚ますにはどうしたらいいのか。直太郎社長は、創業100周年を迎えた03年、微粉砕機事業を前身の会社から引き継いで独立する大胆な手法を取った。全従業員をいったん解雇し、本人の意思で再入社してもらい、新会社「アシザワ・ファインテック」を発足。これにあわせて受け継いできたDNAをもとに、改めて経営理念を明文化することにした。
 
若手幹部候補生を中心とした約10人による「100年委員会」を結成し、現在のコーポレートスローガン「微粒子技術で"新しい可能性の共創"」と、使命感「世界一の微粒子技術と感動サービスで、お客様のものづくりビジョンを実現することにより、資源の有効活用と人類の発展に貢献し、社員が誇りと満足を得る企業となる」を策定した。

社員倍以上に

新創業から2年後、念願だった自社開発品を世に送り出した。以来、小型実験機から大量生産型まで製品サイズを拡充している。12年には微粒子技術研究所を開設し、使命感にうたった"世界一の技術開発"を目指している。現在、社員は分社当時の倍以上の126人となり、分社後に入社した20代の社員も多い。
 
「100年委員会」は現在も続いており、項目の追加や発展的解消など磨き上げを続けている。行動指針と判断基準を毎朝1項目ずつ唱和し、定着を図っている。
 
新創業という革新を進め、経営理念を明文化した。次の100年に向け歩みを進める。

企業概要

球状の媒体を用いて、マイクロメートル(マイクロは100万分の1)径の粒子をナノメートル(ナノは10億分の1)単位にする機械である微粉砕・分散機(ビーズミル)メーカー。塗料や化粧品のほか、電池、電子部品、医薬の原料の微細化など幅広い分野で役立てられている。2代目の芦沢直臧氏は株式会社化し、鉱山用機械の下請けなどで収益基盤を固め、3代目の芦沢直仁氏は84年に独微粉砕機メーカーと技術提携し、現在の粉砕機事業に参入した。


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