「不変と革新」

国分

変化に対応、存在価値示す

国分の三代目本社ビル

信用を大切に

「信用を大切にして取引先にご迷惑をかけなかったこと、環境変化に対応し社会に機能できたこと」。大手卸、国分の12代目の国分勘兵衛社長は302年の歴史をこう振り返る。江戸中期から現在まで続く組織体はそう多くはない。企業理念になっている「継続する心・革新する力」で時代に翻弄(ほんろう)されることなく「変化対応業」として300年の長きを生き抜いてきた。
 
祖業はしょうゆ醸造業。現在の礎を築いた4代目が伊勢・松坂(現三重県松阪市)の出身で江戸を訪れ、その繁栄ぶりに驚き、茨城県の土浦に製造拠点を構え、しょうゆ作りを始めた。そのしょうゆを「利根川をさかのぼり、江戸川を下り、江戸まで運んだ」(国分社長)。そして日本橋で販売していた。現在でいえば運河というインフラを活用した、製造卸売業だった。
 
しかし、しょうゆ製造業者も増え、明治維新を迎え、大名に貸し付けていたお金が戻ってこなかったこともあり、国分は転業を決意。しょうゆの販売に転じる。ここから卸売り業、国分が始まる。
 
「それまで日本にあった商品は流通ルートも確立していた。そこで新しい品物の扱いを始めた。例えば輸入商品や、ビール、調味料などを扱った(同)。


"洋風"吹き込む

時代は明治。庶民は文明開化の息吹を感じ、新しいモノに飢えていた。そこに"洋風"という風を吹き込んだ。当時珍しかったビールや調味料を世に広めた。消費者のニーズを顕在化する」(同)ためメーカーや商品情報を持つ国分が、この商品はどう売ったらいいか。流通の結節点としての役割を身につけた。
 
そうした国分も戦後、幾度かの困難にぶつかってきた。大きなものの一つが第二次世界大戦後の売るものがなくなった時。もう一つはスーパーの台頭など、問屋無用論が横行した時だろう。
 
戦後の流通において問屋は無用論どころか、一貫して有用な存在だった。「生産、卸と小売りをだれがやるかは別にして、卸は流通の機能として厳然としてある。消費者が望む機能をだれが受け持つか」。流通がある以上、卸の機能はなくならない。「世の中は大手メーカー、大手小売業ばかりではない。中小のメーカーもあるし、中小の小売業もある。それをつなぐ機能、結節点が必要だ」と国分社長は強調する。
 
ネット通販が台頭しても同じこと。注文、決済は今の情報通信技術をもってすればたやすいし、置き換わるスピードは増す。しかし、モノを作り、どの消費者にあう商品をどこで売れるのかを判断する機能が必要になる。

仕組みで経営

300年の歴史の中で卸としての存在意義を築き上げてきた国分。さらに国分社長は今後100年、200年先を見通し「仕組みで経営ができるようにしていく」という。「売買差益で考えるのではなく、商売は仕組みの中から利益が生まれるように考えないといけない」と話す。国分はこれからも流通の中心にいるだろう。

企業概要

江戸時代の正徳2年(1712年)に伊勢・松坂の南に位置する射和出身の4代国分勘兵衛氏が常陸の国新治郡(現茨城県土浦市)でしょうゆの醸造業を開始し、江戸日本橋で販売拠点を構えたのが始まり。以来今年で302年になる。明治以降は食品卸として規模を拡大、大手総合商社系に色分けされる業界で独立系を貫く。商品を効率的に流通させる機能からサプライチェーンコンソリデートを唱え、川上、川下の結節点としの最適流通作りに力を入れる。


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