「不変と革新」

村田発條

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「三者の喜び」追求100年

自動車エンジンの弁バネの製造では品質、量ともにトップと自認

基本を忘れず

村田発條の社是は「『お客様の喜び』『私たちの喜び』『社会の喜び』の創造」だ。2013年12月に創業100年を迎えた同社において、この「三者の喜び」を追求する精神が貫かれている。
 
創業100年に際し高橋純夫社長は、「製造業の基本は作業の安全を確保し、優れた品質の商品をお客さまの指定した納期に、他社より少しでも安く届けること。この基本を忘れずに生産活動に取り組めば、グローバル企業として成長し続けることができる」とあらためて社員を鼓舞した。
 
同社は1913年(大2)に宇都宮市で「村田金物店」として創業。33年に東京都本所区(現墨田区)に村田発條製作所を設立してバネの製造を開始、43年には村田発條として法人化した。創業期にはさく岩機や切符印刷機用などのバネを生産していた。戦闘機の機関銃向けバネでは他社がクリアできなかった品質水準を村田発條のみが合格するなど、当時から技術力に定評はあった。43年に工場が空襲を受けたことから、戦後に工場を宇都宮市に移し操業を再開した。「弁バネの村田」として自動車メーカー向けサプライヤーの実績を積んできた。


品質にこだわり

同社は品質に強くこだわり、それが取引先からの信頼になっている。製造過程で床などに落ちた品は不良品として廃棄する。顧客からは厳しいコストダウン要求があり、ロスを出すとその点で苦しくなる。しかし高橋社長は「表面に傷が付いた可能性を考えると廃棄せざるを得ない」と決意をにじませる。複数の自動車部品メーカーなどから表彰を受けているのは、品質本位の姿勢を維持してきた証といえる。
 
グローバル化も推進。87年に米国、11年に中国、12年にメキシコに拠点を設置。顧客メーカーが海外展開するにあたり、その部品の調達先として対応してきた。これらの拠点を新たな市場開拓にも結びつける方針。目標に掲げているのは「世界ナンバー1の多品種優良バネメーカー」だ。
 
海外展開を進める一方で、国内拠点の雇用維持も重視する。高橋社長は「バネ製造のみにこだわらない。他社から新規の仕事について相談や依頼があった場合は断るな」と社員に呼びかけている。特に着目しているのが、組み立ての仕事だ。「これまでにコスト、品質、量産で他社をしのいできた。その生産技術を組み立てに生かせば、良い製品を作ることができる」と自信をみせる。

危機は何度も

73年に入社した高橋社長は「何度も危機はあった」と同社の歩みを振り返る。2度の石油危機やバブル経済崩壊後の不況、米国同時テロやリーマン・ショック、東日本大震災などに加え、11年には当時の村田一郎社長が急逝するという出来事もあった。
 
それらを乗り越えながら同社の事業が100年続いた理由について、高橋社長は「苦しい時期に会社と従業員が痛みを分け合うことができた」点を挙げる。
 
「お客様」「私たち」「社会」の喜びの創造は、200年を目指す歩みの中でも変わらない。

企業概要

1913年(大2)に創業。エンジンのバルブ開閉を支える弁バネやクラッチダンパー用バネなど自動車向けのバネが売り上げの9割弱を占める。海外に3子会社を設けたほか、関連会社に航空部品メーカーのエーシーエム栃木、バネ生産子会社のエム・エス・テーを持つ。13年12月期の連結売上高は115億円。06年に中小企業庁「元気なモノ作り中小企業300社」、11年に産業財産権制度活用優良企業特許庁長官賞、12年にとちぎ産業活力大賞最優秀賞などを受賞している。


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