「不変と革新」

田代珈琲

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原動力は「社員の成長」

入社6年目の焙煎・バリスタ担当、岩田さん。技量を磨き、焙煎技術の13年国内競技会で準優勝した(本社店舗で焙煎作業中)

人を育てる経営

田代珈琲で入社6年目の岩田倫子さんは焙煎とバリスタ担当。焙煎の腕を磨き、2013年に焙煎技術の国内大会で準優勝した。こうした社員の活躍こそ、同社が大事にし続ける人を育てる経営の表れだ。
 
同社は13年に創業80年を迎えた。コーヒー豆を焙煎して小売り・卸販売する中で、2008年から、取り扱う豆の大半を「スペシャルティ」に転換した。豊かな風味特性のコーヒーを、産地から一貫した品質管理で流通させる。日本での歴史は十年余りだが、推計でコーヒー豆の国内出荷量の3%前後を占める。
 
田代和弘社長は3代目。「従来も顧客に満足してもらっていたが、高品質のコーヒーでの満足は感動になる。その実現には持続性のある社員の働きが大事」と説く。1人の社員が客10人に感動級の満足を与える力を持つなら人間的な成長を経て、与えられる数は20人、30人にもなる。これが同社の成長イメージだ。
 
田代社長は食材会社を経て、90年に田代珈琲に入社。当時は2代目の父親が経営。60―70年代は喫茶店開業ブームで繁盛、しかし80年頃を境に喫茶店が減り、業績が下降。そうした中、2代目が94年に死去したため経営を引き継いだ。
 
経営環境は厳しく、取引銀行からの借り入れも限度いっぱいだった。当時4人いた正社員を1人減らした。
 
00年にインターネット販売を開始。3年かけて軌道に乗せたが、再び07年に不振がきた時、苦肉の策で主力品の3割値上げに踏み切った。だが反動で売れ行きが減少し、再び正社員の退職という辛い経験をした。
 
大阪はコーヒー豆の焙煎卸の激戦区。大阪珈琲商工組合の会員はピーク時に約110社だったが、倒産や廃業で現在53社に半減した。


針路を定める

経営の新機軸を模索する中で、08年に訪れた中米のコーヒー豆の産地で、スペシャルティコーヒーに触れ、経営の針路を定めた。03年頃から着目し学んできた知識が確信になった。それを機に経営理念を再構築し、人の育成を基軸に据えた。
 
これに伴い外部の力も借りて人材育成制度を導入。会社のビジョン・目標に沿って社員個々のビジョンや成長目標を具体的に定めた。評価は、部下・後輩に対する育成・指導ぶりを重視する。この人材育成体制は社員からも好評だ。勤続20年の店舗責任者の桝屋有美マネージャーは「豆に関する情報量が増え、社内で学ぶ環境も整ってきた。仕事は今が一番楽しい」と話す。取り組みの客観評価を目的に、12年の厚生労働省キャリア支援企業表彰に応募。応募85件から表彰10社に田代珈琲は選ばれた。

主体的に働く

年商は現在2億円と低迷期の03年に比べ3倍に増加。「目標は15年先に100億円。全社員が主体的に将来を考え働く形が、持続できれば実現は難しくはない」(田代社長)と見る。「社員が成長を実感し働いている。数年後に面白い展開が見えてくる」と社員の成長を原動力に、企業も成長する。

企業概要

1933年に田代辰(のぼる)氏が大阪市内で田代兄弟商会として創業。シロップ製造を主に、コーヒー豆も扱った。第二次大戦の中断をはさみ、戦後に一時期、紅茶の輸入販売権を得て「ホリデー紅茶」の名で拡販し、50年代に創業者次女の映画女優・田代百合子さんが活躍し家業の知名度も高まった。2代目・好埈(よしたか)社長の85年に現在の大阪府東大阪市に本社移転し、卸から小売り主体へ転換。09年から新卒の定期採用活動を始め、現在は社員10人、パート7人。


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