「不変と革新」

丸栄機械製作所

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常にニーズ取り込む

昭和13年ごろの工場内

堅実な歩み

「常にユーザーニーズを取り込みながら、これまでやってきた」―。研削盤が主力の丸栄機械製作所の岡部福松会長はこれまでの取り組みを振り返る。浮き沈みの激しい機械業界にあって、従業員45人ほどの小規模なメーカーながら80年以上に渡り堅実に歩みを進めてきた。同社の研削盤はユーザー仕様のものがほとんどで一品一様だ。「正直に言って採算は良くない。かと言って当社の規模では量産物はできない。逆に一つひとつ顧客の要求に応えるモノづくりをしてきたからこそ今があるのではないか」という。
 
同社の創業は1931年(昭6)。福松会長の父であり創業者の岡部福蔵氏は旋盤工として各地を旅をしながら働き、最終的に新潟県長岡市の工作機械会社を経て独立した。35年には自社製の旋盤の製造を始め、新潟県内で販売。戦時中は海軍の指定工場として兵器製造にも当たった。「よく家に軍人が来て泊まっていったことを覚えている」と福松会長は話す。45年8月1日の長岡空襲で工場は焼失。焼け跡から、残った機械を取り出し整備し、疎開先で事業を続けた。


無我夢中で設計

現在主力としている研削盤事業に乗り出したのは57年ごろのことで、そのきっかけは、やはりユーザーニーズがあったからだ。当時、バルブのフランジを加工する座グリ盤を手がけ全国に売っていた。福松会長が営業で客先を回っていたとき、大阪の顧客から「小型の研削盤はないか」と相談を受けた。そのころは小物部品用の研削盤はあまりなかった。ならばと、客の要望を聞き、開発に取りかかった。「経験のない中、無我夢中で、台所のテーブルにまで図面を広げて設計した」と福松会長は笑う。その後、研削盤の受注生産を開始し、売れ行きは好調に推移していった。
 
同社の研削盤は、顧客からの要望に合わせて作るものがほとんどだが、「顧客からヒントを得て作った機械については、その顧客だけに売り、競合他社に売らないのが当社のモットー。ヒントをくれた顧客を大事にしたい」との思いを貫く。ユーザーニーズに応えていった結果、今では金型部品や工具、コピー機用ゴムローラー、注射針の研削用などとして、さまざまな分野で使われている。「正確には把握していないが、研削盤だけでこれまで累計4000台以上は出荷しているのではないか」という。

ラインアップ充実

04年には長岡市内の同業他社から事業譲渡の話を持ちかけられ、経営を引き継いだ。「当社の研削盤は小型機。一方、その会社が手がける機械は当社のより大型だった。引き継ぎにより小型から大型機までラインアップを充実させることができた」と積極姿勢だ。
 
現在計画しているのが、本社の空きスペースに自社の機械を並べたショールームを設置するプロジェクト。実際に顧客に来てもらいサンプル加工もできるようにし、意見を吸い上げる。「時代に遅れないよう、今後もユーザーニーズを取り込みながら機種開発をしていきたい」と歩み続ける。

企業概要

機械産業が盛んな新潟県長岡市において、1931年(昭6)に岡部鉄工所として創業。部品加工や旋盤、座グリ盤などの製造を経て、研削盤メーカーに。57年に社名を丸栄機械製作所と改める。64年に円筒研削盤の標準機「MG―200」を発売、山梨の水晶研磨業界でヒットする。04年に同じ長岡市内の円筒研削盤メーカーの宮本製作所の事業を継承する。現在社長を務めるのは3代目の岡部恒夫氏。


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