「不変と革新」

藤橋歯車鉄工所

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柔軟な発想でモノづくり

1917年ごろの藤橋鉄工場。ベルト式の工作機械が所狭しと並ぶ

モノづくりの礎

藤橋歯車鉄工所は、1885年(明18)に鋳物師だった藤橋大三郎氏が鍋釜などを修理する鋳掛け業を始めたことにさかのぼる。創業130年近い歴史を持つ同社は、福島市のモノづくりの礎(いしずえ)を築いてきた存在ともいえる。時代の変化に合わせて自社の業容も変え、着実に成長を続けてきた。その中でも、品質にこだわりながら、固定概念にとらわれない柔軟な発想で、新しいモノづくりに挑む姿勢は今でも変わらない。
 
大三郎氏は鋳物の町として知られていた福島県郡山市から福島市に移り、鉄工場「藤橋鉄工場」を設立した。その後、修理だけでなく、鍋釜類・農機具の製作も担い業容を拡大した。
 
明治40年代に入ると、モーター式旋盤やボール盤を導入して、さまざまな機械の製造を始めた。1917年(大正6)当時の資料によると、藤橋鉄工場は鋳造、鍛造、木工、機械組み立て、ボイラ(機関)の5部門に分かれており、それぞれの技術を持ち寄りながら、羽二重・ちりめん力織機を生産し、京都丹後地区に納入していた。自動歯切盤やフライス盤、タレット盤など、最新の工作機械を輸入し、地域のモノづくりをリードした。

新しい仕事に挑戦

23年には社名を藤橋鉄工所に変更。T型フォードを輸入し、改造した消防用自動車ポンプや、ガソリンポンプ、ボイラを製造し、「ポンプの藤橋」として東北全域に販路を広げた。さらに国鉄の指名工場として鉄道信号機なども生産した。藤橋進一郎社長は「品質に対する徹底したこだわりがあったからこそ、新しい仕事に挑戦していったのだろう」と話す。
 
この時、1914年に14人だった従業員が40人に増え、工場も4棟を持つ企業になっていた。小学校を卒業したばかりの子供たちが弟子として入社し、同市の鉄工業界に多くの人材を送り出した。その後、昭和に入り、戦争を境として軍需工場としてさまざまな軍事物資を生産した。
 
現在の業態に転換したのは52年で、歯車部門の藤橋歯車鉄工所と藤橋ポンプ製作所に分離した。藤橋ポンプは55年に工場を閉鎖する一方、藤橋歯車は日東紡福島工場(福島市)や福島製作所(同)などからの受注を拡大してきた。
 
同社が得意とするギアは単に図面だけで製作するのではなく、組み込まれたときのことを考えながら生産しなければならない。スムーズな動きが求められるため、品質に対する要求も厳しい。藤橋社長は「これまで五感、心で感じるモノづくりを続けてきた。創業以来の伝統を変えずに新しい分野を切りひらいていきたい」と意気込む。

創業に挑み続ける

戦後の再転換から約60年、4代目となる藤橋社長は「グローバルな競争にさらされている今だからこそ、中小企業が地域社会で生きていける仕組みを構築しなければならない。医療分野をターゲットに模索を始めた」と新たな創業に挑む。

企業概要

1885年(明治18)、福島市に設立した鍋釜類や農機具を製作・修理する鋳物工場「藤橋鉄工場」がルーツ。旋盤やボール盤、自動歯切盤、フライス盤などの工作機械を輸入し、羽二重・ちりめん力織機やT型フォードを改造した消防ポンプなどを生産してきた。戦後、1952年(昭和27)に現在の藤橋歯車鉄工所を設立し、オーダーメードの特殊歯車の受注生産を始めた。創業から128年間、業態を変えながら福島市のモノづくりを支えて続けている。


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