「不変と革新」

エスビック

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発想力で業界リード

首都圏の需要が急増してブロックの生産に沸いた1950年代
群馬県はコンクリートブロック生産量日本一の地。中でもエスビック(群馬県高崎市)は業界最大手であり、国内で2割、関東で4割のシェアを握る。防犯やプライバシーを守るブロック塀など日本の住宅事情に応じて商品を開発し続けている。業界の先頭を走る原動力は、新商品を生み出す発想力の追求にある。

自ら変わる

「ビジネスモデルはせいぜい30年。人の価値観が変わる中で自ら変わることでここまできた」。柳沢佳雄社長は61年間の足取りを振り返る。
 
創業は1952年。岳父の柳沢本次会長が建築資材として解禁されたコンクリートブロックに着目。前身の「新日本ブロック研究所」を設立した。関東大震災や戦中を経て「ブロック製造を通じて日本中に不燃建築を
普及させたい」(柳沢会長)と強く思っていたという。50年代半ばからビル建設ラッシュに沸く首都圏に向けて生産が拡大。銀座周辺の百貨店や新宿のホテルなど大型受注が相次いだ。一大消費地への地の利も味方につけてトップ企業に成長していく。

難しい差別化

ただ、主な材料は水とセメント、骨材などシンプルで差別化は難しい。そこで、「本業の周辺領域で新用途を生み出し続けた」(柳沢社長)。例えば柳沢社長が企画課長時代に開発したのが表面に切削加工を施した商品。壁面や塀などエクステリア分野に販路を広げた。
 
また、高級石材の新大谷を再現したブロック塀や歩道の舗装に用いる「インターロッキングブロック」など人気商品を生み出した。近年は平らな表面に3次元(3D)デザインを印刷する技術を採用した「ビザート」をセーレンと共同で商品化。木目や塗り壁、大理石など本物と見間違える立体感が特徴だ。
 
「競争で価格は崩れる。絶え間ない商品開発が大切だ」と柳沢社長は新しい価値を生む想像力を持つ重要性を説く。
 
一方で、コンクリートブロックの建造物が見直されはじめている。岩手県大船渡市に東日本大震災で沿岸部を襲った大津波に耐えた建築物がある。60年のチリ地震の津波を経験した地元大工が木造強度を上回る建物を目指し、ブロックを鉄筋補強する工法で建てた。周辺では7月に記念碑が完成した。ブロック建造は耐久性や耐火性に優れ、断熱効果や防音の効果も高いという。柳沢社長はブロックを使った優しい省エネ住宅の事業化も視野に入れている。

次世代人材を育成

同社が貫く新しい価値観を生む発想力は、自社内に留まらない。96年から高崎産業技術専門校などと協力し、全国の施工者を招いた講習会を開催。これまで600人が受講している。業界を担う次世代の人材の育成が狙いだ。コンクリートブロック業界は、ピーク時3500社あった企業数が現在180社に減少した。しかし、柳沢社長は「残った会社はどれも強者。技能、文化を語り継いでいく」と悲観はない。
 
100周年を目指すエスビック社内では、柳沢社長の2人の息子が生産技術と物流で手腕を磨いている。新しい発想を生み出す基盤を受け継いでいく。

企業概要

戦後、建築資材としてブロックの使用が認可されたのを機に、地元で採れる原料の軽石に目をつけ柳沢会長が創業した。年商は100億円を超え、経常利益率は5%を超える。主流のブロック塀のほか、歩道などの舗装に用いるインターブロッキング、立体的に見える3Dブロックなど商品開発で他社をリードする。東日本大震災の発生後、復旧資材として経済産業省からの増産要請を受けてフル生産。


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