「不変と革新」

崎陽軒

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こだわりと挑戦見極め

横浜市内に開いた新業態「ライチャス」の1号店
「ナショナルブランド(NB、全国展開するブランド)はめざしません」。横浜名物、崎陽軒のシウマイ(シューマイ)」で知られる崎陽軒(横浜市西区)は選択と集中を明確に打ち出した経営理念を掲げている。理念はさらに「真に優れた『ローカルブランド』をめざします」と続く。実際に、直営店約140店舗のほとんどが神奈川県内に立地し、全国でチェーン展開する飲食店などとは一線を画す。創業の地である横浜にこだわりつつ、その一方では確立したブランドに寄りかかることを許さない精神も大事にしている。

消費額全国一位

実は横浜市民は、統計から見ても全国に類を見ない「シューマイ好き」だ。総務省家計調査による一世帯当たり年間シューマイ消費額の都市別ランキング(2010―12年平均)で、横浜市は年間2500円超で全国一位。続く川崎市が同1500円程度。いずれも全国平均の同1000円程度を上回る。そして大手食品メーカーのNBを除けば、崎陽軒以外の有力なローカルブランドはほぼ見あたらない。
 
もともとシューマイは横浜の名物でも何でもない。1928年、横浜駅構内の販売業者だった崎陽軒が、横浜に名物をつくろうと独自のシューマイを製造・販売したのが始まりだ。鉄道の乗客は皆東京駅で駅弁を買い、ほど近い横浜駅で買うことがなかったことに目をつけた。

不動の人気商品

戦後、1954年に「シウマイ弁当」を発売。人気となりヒット商品に成長。同弁当は現在も同社の弁当売り上げの7―8割を占める不動の人気商品だ。
 
同社にとっては、シューマイの新商品を作ったのではなく、横浜の名物を作ろうとしたことが現在の成功に結びついた。こうした取り組みの原点には、「シウマイだけ売っていればいいのではなく、新しい名物名所を作ろうじゃないかというチャレンジの方向性」(野並直文社長)がある。現在でも、季節ごとの弁当や日本人の口に合う、手頃な大きさの中華菓子などの開発と投入。挑戦は続いている。
 
「シウマイや弁当のイメージが強すぎ、他のものがなかなか育っていない」(野並晃取締役)という危機感もこの挑戦を促す。野並取締役の率いる新業態「ライチャス」も、チャレンジ精神が具現化した一つ。崎陽軒の名前やロゴ、連想させる色を全て排除し、ファストフードより価格が高めの外食業「ファストカジュアル」として4月に横浜市内に1号店を開いた。「105年間はシウマイと弁当の上で成り立ってきた。(その上で)これからの10年、20年を見た、もっと新しいチャレンジをしなければ」(同)とする。

見分ける英知

「変えるべきものを変える勇気、変えてはならないものを変えない包容力、変えるべきものと変えてはならないものを見分ける英知を神よ与え給え」(米国の牧師ラインホルト・ニーバー)。野並社長がカードにして大切にするこの言葉は、長寿企業の神髄を明確に物語っている。

企業概要

1908年に横浜駅(現在のJR桜木町)駅長だった久保久行が退職後に同駅構内の営業許可を得たのが始まり。横浜・中華街から点心の専門家呉遇孫を招き、28年に独自の「シウマイ」を発売。50年には横浜駅でユニフォームを着た女性の売り子「シウマイ娘」が大ヒット、54年に発売した「シウマイ弁当」とともに全国に名を知らしめた。同商品は木製容器(経木きょうぎの折り箱)の使用を現在まで貫く。資本金は3億4000万円、従業員は501人。12年度売上高は208億円。


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