「不変と革新」

相良製作所

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時代の先行く設備投資

戦後に製造販売した米貯蔵器

歴史の重さ

相良製作所(静岡県掛川市、相良貴史社長、0537・22・7281)は1905 (明38)年に、バケツやじょうろなどの製造販売業として創業した。日露戦争がポーツマス条約で講和し、夏目漱石の小説「吾輩は猫である」が注目を浴びた頃だ。108年の歴史は「安定した会社というイメージになり、顧客に安心感を与える」と5代目に当たる相良社長は歴史の重さをかみしめる。
 
現在は自動車や穀物乾燥機、窓シャッター、家電などの部品を製造する。代々の経営者は売上高が伸びない時期でも一定の設備投資を実施し、その設備が企業の存続につながる多くの製品の受注に結びついた。
 
板金加工を核に製茶機械の部品製造、亜鉛鉄板や銅板による住宅用屋根など業種を徐々に拡大。太平洋戦争後、政府が米の増産政策をとった時は、米貯蔵器を自社製品として発売。貯蔵量を3俵、5俵、10俵とシリーズ化し、ネズミ対策も施し人気を博した。現在でも静岡県内で当時の製品を使う農家があるという。
 
もちろん険しい道を歩んだ時もあった。売上高の85― 90%を2輪部品が占めていた時期、1986年に原動機付き自転車のヘルメット着用が義務付けされた影響で、同部品の受注が半減した。

業種の偏り解消

これを救ったのは「私の大叔父にあたる力(つとむ)氏の営業努力と、継続してきた設備投資」(相良社長)だった。2輪車部品の受注は減ったが、仕事は農業機械や住宅関連部品へと広がりをみせ、売り上げの回復とともに業種の偏りも解消した。 
この教訓から、その後も設備投資を継続。プレス金型の製造設備や数値制御(NC)タレットパンチ、プレスブレーキなどを導入し、試作から量産まで対応できる体制となった。 
86年の危機に次ぎ、同社に大きな影響を与えたのが08年のリーマン・ショック。相良社長は人件費以外の固定費を徹底的に削減し、正社員の雇用維持に専念した。その後、仕事量は徐々に回復。ただ、大手メーカーの海外生産が進み、12年8月期の売上高はリーマン・ショック前の約7割にとどまっている。
 
この状況では新設備導入で活路を見いだすことは困難だ。ただ、受け継いできた積極的な設備投資戦略は「挑戦」の象徴だ。新設備で新しい仕事に挑むことで、何度も苦況を乗り越えてきた。この挑戦する姿勢こそ、同社が創業以来貫いてきた理念だ。

ノウハウを共有

そこで近年は品質向上活動に力を入れ始めた。まず検品作業を徹底し、次に不良が出ない製品をつくり込んだ。各部門で埋もれがちだった問題解決のためのノウハウを共有し、ベテランと若手が作業中に一緒に考える時間もつくった。結果、主要取引先への納入品のクレーム数が、11年度には1件のみとなった。
 
現在は「ISO9001」の自己適合宣言を目指す。さらに「今は部品のみだが米貯蔵器を出した歴史もあり、いずれは自社製品を世に出したい」(相良社長)と未来を見据える。

企業概要

1905年(明38)に相良福平氏が創業。52年に2輪車部品製造を開始、61年に改組した。12年8月期の売上高は前期比横ばいの約5億円。構成比率は自動車部品が45%、シャッター部品が20%、農業向け部品が18%、残りがその他となっており、多様な業種取引が強みだ。地元である静岡県掛川市周辺では、老舗のプレス板金加工として信頼も厚い。


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