「不変と革新」

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「進取の精神」社内に浸透

「進取の精神」の英文をあしらった作業着(本庄工場=埼玉県本庄市)

スピンアウト

OKI(沖電気工業)の「沖」は創業者の家名だ。広島から上京した銀細工師の沖牙太郎(きばたろう)が明治政府の工部省電信寮製機所に採用され、そこで習得した技術を元に1881年(明治14)に銀座の裏道に社員わずか数人の「明工舎」を設立した。これが現在のOKIに続く。いわば公的機関からのスピンアウトである。
 
OKIは主として通信機器の国産化を軸に発展してきた。牙太郎以来、最先端のIT機器の開発・製造に取り組む姿勢は「進取の精神」という言葉で伝えられてきた。英文化した『PROGRESSIVE SPIRITS』を工場の作業服にあしらうなど、社員に広く浸透した言葉だったという。
 
それを改めて企業理念として明文化したのは意外に遅く、1996年(平8)のことだ。役員合宿で策定した新たな経営計画とともに、創業の原点に戻る必要性を確認した。
 
当時、IP(インターネット・プロトコル)通信が台頭し、長くOKIの主力事業だったアナログ電話交換機の需要が急速に縮小していた。秘書室長だった川崎秀一社長は「今こそ『進取の精神』を取り戻さなれければならないという危機感が、経営陣にあったろう」と分析する。

苦難の連続

それまでもOKIの事業は苦難の連続だった。電電ファミリー(旧電電公社の主要納入企業)として大手通信機メーカーに位置づけられていたものの、国産コンピューター開発からの脱落や携帯電話機事業や半導体事業からの撤退など「失敗を数えたらきりがない」(川崎社長)。
 
しかし、そうした多くの挑戦の中から、国内シェア首位の現金自動預払機(ATM)やプリンターなど新たな事業の柱が育ったことも事実だ。営業出身の川崎社長は、OKIの金融機関向けビジネスを第一線で開拓してきた。「なぜ自社で作れないのか、もっと安くできないのか。工場とケンカしながらやってきた。それこそ創業者・沖牙太郎の『進取の精神』だった」と振り返る。
 
川崎社長は就任以来、自らの考えを「マーケット・イン」という形で社員に伝えている。「お客さまの求めるものをいち早くキャッチする。そこに『進取の精神』が必要だ」と強調する。同時に「上意下達ではダメ。トップが意識を持つことは大事だが、社員すべてが新たなことに挑戦する気持ちを持たなければ『進取の精神』ではない」と繰り返し、社内に訴えている。

覚悟の現れ

通信機事業の比率は、20%程度まで低下した。「20年後、われわれが何を作っているか分からない。それでいい」(同)。2006年にCIを導入し、社名の通称を英字の「OKI」に改めたのも、そうした覚悟の現れと言えよう。
 
OKIの社員には沖一族はいない。しかし今でも毎年末に、東京・青山にある沖牙太郎の墓地を清掃に行く習慣が続いているという。創業者への敬意が、深く根付いている証拠である。

企業概要

OKIを生んだ製機所は、日本の電機産業のゆりかごだった。沖牙太郎の製機所時代の同僚が創業した三吉電機工場はNECの母体。東芝の創業者で「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重も製機所に深く関わった。
 
文明開化に源を発する名門・OKIは、今も最新のIT技術に欠かせない企業としての地位を守っている。2008年から事業の集中と選択を進め、13年3月期の連結売上高は4558億円。復配に向けた構造改革が急がれる。


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