「不変と革新」

損保ジャパン

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統合経ても「顧客第一」

東京・新宿区に立地する損保ジャパンの
現在の本社ビル

日本で初めて

2002年に発足した損保ジャパン。歴史をさかのぼると、1887年に設立された日本で初めての火災保険会社、東京火災保険にたどり着く。社名や会社形態は現在とは大きく異なるが、損保ジャパンの桜田謙悟社長は「創業時代から脈々と受け継がれてきたのが『お客様第一の精神』」と話す。
 
東京火災保険は火災保険の必要性を説きながら志半ばで病に倒れた松田道之東京府知事の遺志を継いだ商人の柳川清助氏らが設立した。設立の際に抱いた大志はひとつ。「安心という価値を世の中に根付かせたい」というものだ。現在の損保ジャパンを支える企業理念もそこにある。

志高く立ち上げた東京火災保険も、資金繰りに窮することになる。当時は「保険」の思想が浸透していなかったためだ。こうした状況からの転機になったのが、安田財閥の安田善次郎氏の協力だ。安田氏の事業を見つめるまなざしには常に「社会の安定と産業の発展」という軸があった。「火災保険は社会に不可欠」と見抜き、1893年に経営に参画、東京火災保険は再建を果たし、業界最大規模に成長する。損保ジャパンの桜田社長は、「『お客様第一』は現在、最重要の経営戦略目標である『お客様評価日本一』に進化させている」と理念が変わらないことを強調する。

企業風土に特徴

もちろん、他損保も同様に顧客重視の戦略を強化してきた。差別化できたのは企業風土の違いだ。桜田社長は「チャレンジを大切にし、真っ先に一歩を踏み出す姿勢」を社風としてあげる。

実際、社史をひもとけば東京火災保険時代から、社員が顧客のためにチャレンジ精神を発揮してきた。
 
「永楽ビルに集まれ」―。1923年9月、関東大震災で東京火災保険の日本橋本社は焼失。焼け跡にはられたビラを見て社員が集まったのが東京都麹町区(現千代田区)で落成したばかりの永楽ビルだった。続々と社員が集まり、罹災(りさい)契約の調査に没頭。本社に保存してあった契約原簿が焼失したため、責任額がつかめず作業は困難を極めたが、1924年5月に始まった調査・支払いは、わずか3カ月で完了した。

姿勢は変わらず

1944年には海上保険会社の先駆の1社である帝国海上保険、日本唯一のボイラ保険会社の第一機関汽罐保険と合併し、社名を安田火災海上保険に変更。02年7月にには日産火災海上保険と合併し損保ジャパンが発足。12月には経営再建中だった大成火災海上保険と合併した。
 
120年超の歴史で統合合併を重ね、会社形態も大きく変わった。それでも、桜田社長が指摘するように「お客様第一」の理念や「真っ先に一歩」の姿勢は脈々と受け継がれてきた。
 
14年には日本興亜損害保険と合併する。桜田社長は「モノカルチャーでなく、マルチカルチャー。グループ全体として性別、国籍、年齢、価値観など多様性を大事にしたい。2社の異なる部分をエネルギーにしていける」と多様性を取り込みつつ、「お客様第一」を貫く。

企業概要

02年7月に安田火災海上保険と日産火災海上保険が合併して発足。その5カ月後には再建中であった大成火災海上が合流した。安田火災海上保険は日本初の火災保険会社の東京火災保険を源流に持つ。10年には日本興亜損害保険と共同持ち株会社NKSJホールディングスを設立。東京海上日動火災保険、MS&ADインシュアランスグループホールディングスと3大損保の一角を形成す。14年9月に日本興亜損保と合併して「損保ジャパン日本興亜」が誕生する予定。


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