「不変と革新」

須藤本家

HOME > 「不変と革新」 > 須藤本家

酒造り、寄り道せず本業貫く

たくさんの木々に囲まれている酒蔵
平安時代末期の1141年(保延7、永治元)にはすでに酒造りをしていた記録が残る酒造会社の須藤本家(茨城県笠間市)。先祖は茨城県名の発祥地の一つとされる県央の笠間市小原(おはら)周辺を治めていた地方の有力な武家という。武士の血を引き継ぐ家系で1996年の株式会社に移行した後も脈々と守り続けているのは、「寄り道をせずに本業を貫きなさい」という精神だ。

 

年貢の立て替え

須藤本家の酒造りは、地元農民の年貢の立て替えをしたのが始まり。1140年頃の27代当主の時、地元農民が年貢を納めるのに苦労していたため、それを立て替え始めた。だが原資が長続きしないため、一次産品の米を加工し、清酒として販売し、その売り上げを原資にしたことで、安定的に年貢を立て替えることが可能になった。以来870年余も酒造りを本業とし、酵母の純粋培養法として1100年頃に考案された「生もと」造りを主軸に醸造している。
 
同社には「酒、米、土、水、木」という家訓に基づく「木を切るな」という教えがある。「良い酒は良い米から、良い米は良い土から、良い土は良い水から、良い水は良い木から、良い木は蔵を守り、酒を守る」と、第55代目当主の須藤源右衛門社長はこの教えを守る。「本業を貫く精神」がここにある。

ぶれない軸足

祖父や父は須藤社長に美術館や能などの古典に触れさせたが、仕込みや配合など酒造りの肝については具体的に教えていない。「自分を磨き、他人の目標になるような人を目指すのが武士道だとすれば、酒造りも同じなのだろう」と、その意をくみ取る。このため、須藤社長には感性を育成に努め、それを酒造りに生かしている。マーケティングに基づく販売ではなく、商家に古来あったはずの考え方など、ぶれない軸足を持つことが重要だと考えている。
 
88年に専務に就任した須藤氏は、90年代に入ると、いち早く純米吟醸酒と純米大吟醸酒に特化した。原価低減と時間短縮を目的とした醸造用アルコールを添加した日本酒の醸造ではなく、「自然の力そのもので造られた酒を今後も造っていくことがお客さまへの感謝の気持ち」として、「人の体が最も受け入れやすい」ことを重視した酒造りを続ける。

世界一目指す

その具現化として、須藤社長は世界一の酒を目指している。価格や出荷量のことではない。米国輸出を始めた95年頃から、この目標への思いは強くなった。2000年にフランスの有名な生産者が試飲して、即、有名レストランでの採用が決まるなど、海外進出することで、逆に日本の良さを感じ取れたことが社長の気持ちを後押しした。「最初は良いお酒を造ろうと少々気負っていた。だが、人間ができることには限界がある。そこから先は自然の酵母、自然な冷気など自然環境に任せるしかない」と、「自然な」日本酒こそ世界一だと考える。
 
次の代には「自然の力を感じ、それを生かすだけの感性を持って、お客をリードし、本質的な良さを伝える力を持ってほしい」と、本業の酒造りがより高い水準で続けていくことを願う。

企業概要

江戸中期まで庶民は生の日本酒を飲んでいたにもかかわらず、特権階級が燗(かん)をして飲み出したことから江戸後期以降主流になった火入れ。同社は、この昔あった、生の繊細な味と香りを復活させようと他社に先駆けて1973年に生のままの酒を販売した。また、海外展開にも積極的で、95年には米国輸出を開始し、今では在外公館向けを含め延べ約50カ国に広まっている。米国で720ミリリットル1万3000ドルで販売されたこともある。代表銘柄は「郷乃誉」「山桜桃」「花薫光」。


ページの上へ