「不変と革新」

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「消費者本位」で食文化発信

海外でしょうゆの定着を狙い試食販売を行う
消費者本位」の安全、安心な商品を提供するキッコーマンのモノづくりの精神は創業から不変だ。千葉県野田市周辺の醸造元8社が合同する形で設立した旧野田醤油の最初の合同は1917年(大6)のこと。わが国の諸産業が近代化を目指すなかで生まれたものだった。各家が株式会社化し、大量生産を目指したことは、江戸時代から続く各家の家業だったしょうゆづくりが、食品工業へと生まれ変わるイノベーション(変革)の第一歩だった。

 

家業から脱却

この創業8家の中には、茂木友三郎取締役名誉会長の生家である茂木啓三郎家のほか、茂木を名乗る六つの家があり、それに加えて高梨兵左衛門家もあるが、この6月の株主総会後にはこれまで、当主を社長として送り出していなかった堀切紋次郎家から初めてのキッコーマン社長が生まれる。
 
この事実だけを捉えると21世紀の国際的メーカーとしてどうかと異議を唱える声もありそうだが、茂木名誉会長の社長退任後には2代続けて、創業家に関わりのないサラリーマン社長が"のれん"を背負った。これは家業ではなくなったキッコーマンの真の姿であり、企業統治(ガバナンス)されている国際的メーカーであることの証左でもある。
 
社内外の多くの期待を担って新社長に就く堀切功章取締役専務執行役員が、就任内定の記者会見で「(入社時から)自分が社長に就くとは思ってみなかった」と吐露したのはおそらく本音だろう。ただ、今や収益の過半を占める海外業務の統括や事業会社のキッコーマン食品社長を務めるなど、グループトップに必要な経験を積みながら、今日を迎えたことも事実だ。

海外が柱に

日本の食文化発展を担ってきたキッコーマンは、第二次大戦後、成長の源泉を海外に見いだす。今年は茂木名誉会長らが推進した米国への工場進出40周年にも当たる。5大湖の豊富な水と周辺の大穀倉地帯を背景に立地するウィスコンシン州の工場は、キッコーマングローバル化の起点だ。今や北米、欧州、中国、台湾、シンガポールにも展開し、海外事業の売上高構成比率は2012年3月期で45%、営業利益は69%に上る。

世界市民として

単なる進出ではなく利益面でも大黒柱であり、中でも北米市場はしょうゆ海外販売量の8割強を占める。茂木名誉会長をして「国内のキッコーマンに次ぐしょうゆメーカーはキッコーマン海外拠点」と言わしめるのは、このためだ。
 
ウィスコンシンでの工場建設の企業化調査(FS)を行った当時、米国に進出していた日本企業はソニーなど数社に過ぎなかった。コロンビア大学でMBA(経営学修士)を取得した茂木名誉会長をはじめ、多くの工場従業員やその家族の力を結集し、米国にしょうゆを根付かせた。
 
現在のグローバルビジョンは2020年でのあるべき姿を描いた。世界100カ国・地域の消費者にしょうゆを届ける今にあっても、「グローバルスタンダート調味料」への挑戦が続く。その根底にあるのは、世界市民としての自覚と高い品質への矜持だ。

企業概要

江戸時代から千葉・野田などでしょうゆ造りを行ってきた八つの家が合同し、1917年野田醤油株式会社などを設立。27年東京に出張所を開設し、東京市場での商標を「キッコーマン」に統一(全国で同商標に統一したのは40年)。49年東証上場。57年米国に販社設立。64年マンズワイン発売、キッコーマン醤油に商号変更。80年キッコーマンに社名変更。2009年持株会社制に移行。


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