「不変と革新」

ナベヤ

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"時流適応"鋳物史刻む

今も続く釣鐘の製造

ナベヤ(岐阜市、岡本知彦社長、058・271・6301)の創業は1560年。織田信長が今川義元を桶狭間で破った年だ。河内(現大阪府南部)から岐阜に移り住んだ岡本伊右衛門が、井口城(現岐阜城)下で鋳物業を始めたのが起源。時代とともに業態を変えながら、成長を続けている。

寺の釣り鐘

現在は精密治具やマシンバイス、各種機械部品のナベヤ、上下水道用資材の鋳造品を手がける岡本(岐阜市)など8社でグループを形成。16代目の岡本知彦社長が指揮している。
 
江戸時代まで寺の釣鐘などをなりわいとしてきたが、明治時代以降、さまざまな事業を展開してきた。第十二代岡本太右衛門は1894年(明27)に岐阜県内初の電力会社設立に参画し、金融業にも進出した。その後、鍋や釜を主力とし、大正時代の初めに輸出にも乗り出した。戦中は軍需産業を担うかたわら、水道金具の生産を開始。戦後には作業工具も手がけた。

番頭を大切に

1962年(昭37)に32歳で社長に就任し、現在は会長である第十五代岡本太右衛門氏は、繊維機械などの部品主体から自社製品主体に事業転換した。この推進力になったのが万力(バイス)だ。米小売り大手のシアーズにも販路を開拓し、年間100万台を販売した。自動車メーカーの純正ジャッキも生産。精密治具や水道継ぎ手を主力とする現在のグループの基礎を築いた。
 
岡本会長は「拡大のチャンスにも無理をせず、一定の分野を守れ」と事業継承の"ツボ"を説く。家訓は「政治には口を出すな」「遊興ビジネスには手を出すな」「番頭を大切にせよ」の3点。特に3点目は、毎年12月1日に「恵比須講」と称し、グループの番頭格全員を岡本家総出でもてなす徹底ぶりだ。

テクノクラフト

本質を守りつつ、変化を取り入れる「不易流行」が同社には受け継がれている。岡本社長はこの言葉を「時流適応」と変え、鋳物事業をベースにしながら、高付加価値のメカニカルパーツに軸足を移している。デジタルエンジニアリングの導入、トヨタ生産方式の徹底、技能教育の強化にも取り組んでいる。
 
また鋳物製の薪ストーブも製品化した。グループ会社の住宅設備機器メーカー、サンアイ岡本(岐阜市)ではリフォーム事業を強化している。歴代トップと同様、岡本社長も時流に応じた事業展開を推し進めている。
 
課題はグローバル化。シンガポールと中国・上海市に販売会社を置いているが、売上高に占める輸出比率は約1割にとどまっている。このため5月に広州市の台湾系商社に出資するなどアジア販売網の整備を急いでいる。岡本社長はグローバル化や事業の多角化を支える基礎として「テクノクラフト」を提唱し、21世紀に通用する国内でのモノづくりを志向している。


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