「不変と革新」

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塗装のルーツに漆技術

ワークを吊るす治具には社内のアイデアが盛り込まれている

 豊工業(埼玉県久喜市、0480・58・7718)の4代目、豊島宏尚社長はこの8月、就任してちょうど10年となった。「がむしゃらに走り続けてきた。時間にゆとりができるようになったのは、本当にやっと半年ほど前から。これから新しいことに挑戦する」と次の10年をにらむ。

菊の紋章手掛ける

 同社は1897年、初代の豊島長次郎氏が個人で創業。漆の技能を生かし東京・月島で当時の鉄道作業局を中心とした鉄道車両、機械、建築の塗装請負を始める。漆の蒔絵(まきえ)技術から、特別列車の菊の紋章の仕上げなども手掛けた。この蒔絵技術は現在もパネルの製作などに息づく。

 戦時中は日本信号から請け負う鉄道などインフラ関連を中心に、戦車の迷彩塗装や砲弾の塗装も行い、営業範囲は朝鮮半島や台湾にまで広がり、従業員は100人前後に拡大した。

新幹線関連も

 戦後は進駐軍の要請でローマ字表記の道路案内標識の製作塗装も行うが、やはり鉄道関連が中心で、48年に法人化した。新幹線の運転指令センター壁面に広がる大型パネルは同社の塗装技術が生かされたもの。当時のパネルは現在鉄道博物館に展示されている。

 64年に現在の豊工業に商号変更した後は日本信号の工場建設に合わせ、宇都宮などに工場を新設。しかし日本信号が板金加工から塗装までの一括外注を増やすと、豊工業への塗装発注は激減した。テレビの内部部品やベッドのパイプ部で転換を図るが、設備投資の負担が大きくなった。

 30年近く3代目を務めた豊島啓二・現会長は年、歯車メーカーに営業マンとして勤務していた宏尚氏を呼び戻した。「(宏尚氏が)一番やってなかった仕事を任せた」(啓二会長)と経理を担当させ、社内から取引全般まで徹底的にコストの見直しを図った。商慣習の見直しなど、二人で激論を交わす場面も多々あったという。

 コスト改善もあり業績は順調に回復し、塗装設備の開発と外販といった新規分野への挑戦にも着手した。クリーン環境でエアを吸引する塗装ブースや大型の乾燥炉といった自社設備に改良を加えるなどして開発に取り組んだ。リーマン・ショックの影響もあり外販はまだこれからだが、塗装技術全般の改善には人の社員が連携して、全力で取り組む。大型金属部品を吊るす治具は、啓二会長のアイデアが反映したもの。かつての漆技術を生かした塗装技術の開発など次の10年、20年に向けた事業化アイデアは続々と生まれている。

自社の塗装に誇り

 「顧客から預かった真っ黒い鉄の塊が、納入時にきれいに仕上がると喜びを感じる」(宏尚社長)ところは塗装の醍醐味(だいごみ)だ。社員は自社塗装品が町の至る処に使われていることに誇りを持つ。鉄道の踏切や洋菓子店のショーケースなどの仕上がりのチェックに、カメラ片手で休日出かける社員も多い。


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