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”攻めと守り”国内に道

昭和50年頃(大阪熱工時代)のダイネツ本社工場

 江戸時代後期の1813年、ダイネツ(堺市堺区、葛村和正社長、072・229・0223)は、鍛冶の炭焼きを手がける炭問屋として事業を起こした。昭和に入り、政府のコークス統制を受けて熱処理業に転換。1944年に熱処理事業を核にした大阪兵器熱工を設立した。2013年は創業200周年の節目だ。

時代を読む

 45年に社名を大阪熱工に、92年にダイネツに変更した。現在は産業機械部品やプラント部品、自動車部品などの熱処理を手がけている。創業から10代目となる葛村和正社長は社の歴史について「長く続いた背景には、葛村家が資本家としてあり、経営を番頭任せにしたことがある」と分析する。ただ、これは終戦までの話。葛村社長は「戦後は社長一族の元で攻めと守りを繰り返してきた」と続ける。

 もちろん”守り”と言ってもじっとしているわけではない。存続させるためにどうするかを考える。例えば6年前。全国で環境問題への取り組みが本格化したことを受け、風力発電設備向け部品処理が主力の新工場を高知県に置いた。時代の先を読んだ投資。「専門の仕事を取ってくるのも守りのうち」。葛村社長はこう言い切る。

情報伝達カギ

 時代の波に乗り、企業の姿をどう変えていくかは情報次第。この情報を集めるのが、トップの仕事であり、これを確実に伝達できるかがポイントになる。葛村社長は「長く続いている会社はしっかりと伝達できている」と強調する。経営と現場が一体でなければ企業は存続しないのが、葛村社長の考えだ。

 近年は人材確保にも力を入れている。これまでは中途採用が中心だったが、5期連続で3人程度の新卒者を採った。来年も4人を採用する予定だ。「変わる時代に事業を伸ばすためには、新しい人材が必要」(葛村社長)だからだ。

 人材確保は海外対応力の強化も念頭にある。だが、製造業の海外シフトの動きには眉根を寄せる。熱処理は素材を軟らかくして加工した後、再び硬くする。多用な部品の加工で欠かせない工程であり、モノづくりの根幹とも言える。葛村社長は「表面硬化まで移転すると日本のモノづくりはなくなる」と危惧する。

原点見つめる

 さまざまなモノ、技術の蓄積があるからこそ、日本のモノづくりは改善できてきた。海外企業が最新設備を導入しても改善の上に築いたノウハウには及ばない。葛村社長は「これからも存続するためには、日本のモノづくりの原点を見つめ直さねばならない」と確信している。

 今、国内での生産活動は苦難の道だが、勝ち残る手段も国内にある。この数年、ダイネツは設備投資を積極化している。創業200周年を攻めの姿勢で迎える。


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