「不変と革新」

阪和興業

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3つの"ワーク"で成長

4月に開業した堺流通センター

 鉄鋼が主力の独立系商社、阪和興業は1990年前後、財テクで全国に名をはせた。しかし、バブル崩壊で巨額の損失を計上。94年3月期に本業専念を誓って再建をスタートした。それから18年。12年3月期の売上高は1兆5600億円と、当時に比べて約3倍になった。

現場力で再建

 94年2月に3代目社長として就任したのが現在の北修爾会長だ。初代社長で、当時、会長だった北二郎氏の長男。93年に通商産業省(現経済産業省)を退官したばかりだったため、経営手腕を疑問視する声もあったが、官僚時代に培った国際感覚でリーダーシップを発揮した。

 阪和興業には大手総合商社とはひと味違った現場力がある。47年に創業し、10年後には東・名・阪に大型倉庫を整えた。取引先に問題があると、すぐに駆けつけて解決に汗をかく。「困った時の阪和興業」が定評。経営陣の一部による財テクで深く傷ついたが、社員は本業専念を歓迎した。

 与信管理では営業員が取引先の財務データを読み、管理部署と連携しながら主体的に与信の責務を負うのも強み。90年代、同業他社は大手ゼネコンの倒産などで焦げ付きを抱えたが、現場力で危険をかわし、再建の歩みを止めなかった。

国際化先取り

 90年代、円高で関西の家電メーカーが相次いで海外生産シフトしたことを受け、アジア展開を本格化した。進出していた香港では現地の鉄鋼問屋組合で、非中国系では初めて役員に名を連ねた。96年に中国鉄鋼最大手の宝山製鉄から依頼を受け、ステンレス鋼での日中合弁を橋渡しした。海外でも現場力を発揮。営業員は顧客の海外視察に同行し、サポートした。北会長は通産省時代に日米摩擦問題などを担当した経験を生かし、国際化のニーズを先取りした。

 一方、国内では社内改革を推進。東名阪の主要3拠点の人事交流を図るとともに、鉄鋼や食品などの部門間の壁も取り払った。イントラネットなどの情報インフラも整備。97年に「チームワーク」「フットワーク」「ネットワーク」の三つの”ワーク”を社長メッセージとして発信し、現場力の強化につなげた。

ベスト尽くす

 「起こったことは起こったことと受け止め、ベスト、セカンドベストを愚直に取り組んだ。オープンにしたことが良かった」。北会長は再建をこう振り返る。

 94年3月期は当期損失493億円、有利子負債1兆3000億円余り。メーンバンク、証券会社、鉄鋼メーカーの支援で、再建の誓いから7年後、01年3月期に復配。12年3月期の年間配当は12円。これは6年連続だ。

 だが、改革は終わらない。従来拠点の約1・5倍に拡張し、鋼材保管能力14万トンの堺流通センター(堺市堺区)を4月に開業した。荒波の時代に突入している鉄鋼流通業界を生き抜く。


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