「不変と革新」

シンフォニアテクノロジー

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技術でしたたかに生きる

昭和20年代、神鋼電機時代の伊勢工場

 シンフォニアテクノロジーの旧社名は神鋼電機だ。神戸製鋼所のグループ企業を離れ、2009年に現社名に変更した。しかし、それ以前に長い歴史を持つことは意外に知られていない。

始まりは造船所

 1878年(明治11)、鳥羽(三重県)の旧藩士が城跡に造船所を設け、文明開化に向けて動きだした。戦国時代には九鬼水軍の根拠地だった土地柄を反映したともいう。この造船所は1916年(大正5)に神戸の鈴木商店の傘下に入り「鳥羽造船所」となる。翌年、所内で電機品の試作を始めたのがシンフォニアの「創業」だ。

 第一次大戦後の復興需要に合わせて「鳥羽電機製作所」に体制を改めた。その後、鈴木商店の破たんに伴い神戸製鋼所の一部となる。1927年(昭2)の金融恐慌で、造船部門を播磨造船工場(現IHI)に移管した。

 戦時中は軍需産業として急成長したが、敗戦で規模を縮小。1949年(昭24)に旧神鋼が解体され、電機部門が神鋼電機として独立する。これがシンフォニアの設立とされる。基幹工場は同じ県内の鳥羽から伊勢に移った。造船所だった鳥羽の跡地は、世界屈指の規模で知られる鳥羽水族館になっている。

伝統は消えず

 武藤(ぶとう)昌三社長は「正直、自分のイメージする社史は神鋼電機設立以降かな。基本的には電磁力の応用で始まった会社で、自分が入社した1970年(昭45)でもモーターや発電機が事業の主流だった。その後、さまざまな分野に手を広げてきた」と長い歴史を振り返る。

 ただ現在も伝統は消えていない。航空自衛隊や海上保安庁に航空機用の発電機や電気機器を納入しているが、これは軍需工場以来の実績。繊維機械用モーターのシェアが高いのは、鈴木商店系の帝国人造絹糸(現テイジン)との縁だ。

外に目を向けて

 現在も伊勢のナンバーワン企業であり、伊勢神宮の地元という立地に特別な思いがある社員が少なくない。半面、武藤社長は「もっと外に目を向けてほしい時もある」と、やや不満げだ。

 神鋼グループ離脱は製造品目の多様化を受けて取引額が1%以下に縮小したのが要因。「独立したほうがハングリーになれる。もう頼るものはないという気持ちが社員に生まれつつある」。武藤社長はこう言い切る。ただ独立後、省エネや制御技術の重要性が高まり、神鋼グループとの取引関係は逆に強まっているのが実情。

 シンフォニアとして次の100年をどう生きるか。同社には、技術を生かし、したたかに生きてきた中堅メーカーとしての自負がある。


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