「不変と革新」

出光興産

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「生産者より消費者へ」貫く

旧海軍のタンク底の残油を人力でくみ上げる
という難作業を1年半でやり遂げた
「石油の世紀 出光の歩み創業85周年写真集」より

消費者直売

 「石油をストックしているのは、値上がりで金もうけをするためじゃない。得意先の事業に支障を来さぬためだ。商売繁盛しているのに資金繰りが苦しいのは、出光が消費者直売の営業方針を貫いているからだ」。
 創業者であり、今なお店主と呼ばれる出光佐三氏の若き日を描いた映画「日本人」の中で、佐三氏は店員たちをこう言ってたしなめる。1914年、第一次世界大戦が勃発し、石油が高騰する中、出光商会(当時)のみが以前の値段で得意先に卸していたことに、店員たちの不満が爆発。これに対し、佐三氏は「出光にいる限り、一生、金で困ると思え。進む道が違うなら出光を去れ」と一喝する。
 今なお出光興産に受け継がれる社訓「黄金の奴隷たるなかれ」「生産者より消費者へ」を表すシーンだ。月岡隆常務は「商人が中間搾取をしてはいけないという考えは、店主が母校の神戸高商(現神戸大)で学んだこと。消費者のためにサプライチェーンをなるべく短くするよう努めていた」と解説する。
 ほかにも「人間尊重」「大家族主義」「独立自治」と、その遺訓は形を変えながら会社の精神的支柱となっている。戦後の佐三氏を描いた別の映画では、新入社員を前に「君たちはみんな私の息子だと考えて良い」と訴えかけている。

1年半で完遂

 そうした方針は何度も会社の危機を救った。戦前、中国大陸に進出していた出光は敗戦で海外のすべての資産を失い、石油事業からも締め出される。佐三氏は一人も解雇することなく、ラジオ修理や農漁業、印刷などの事業を興し、食いぶちをつないだ。社員もそれにこたえ、旧海軍のタンク底の残油を人力でくみ上げるという難作業を進んで行った。あまりの過酷さに、戦時中の海軍も放棄した仕事を1年半でやり遂げた。
 以来、「何か苦しいことがあれば『タンク底に帰れ』が合言葉になった。以前は新入社員の現場実習にも、スタンドの油槽のフラッシング(洗浄)が必ずあった。先方からは『なぜ元売りの社員がこんなことをやるのか』と不思議がられたが、現場の絶大な支援を得るきっかけにもなった」(月岡常務)と語る。
 そして、2011年6月、創業100周年を迎えた。東日本大震災もあり、華美な祝賀を控えたいこともあってか、中野和久社長は「節目ではあるが、通過点にすぎない」と素っ気なく語る。

海外に針路

 ただ、「企業は持続しなければいけない。需要が増える市場に行かなければ成長もない。100周年を次の100年に生かすことが大事」と語気を強める。今、出光は「今まで国内に拘りすぎていた」(中野社長)という状況から、海外進出へとかじを切ろうとしている。佐三氏の「黄金の奴隷たるなかれ」「生産者より消費者へ」という理念の重さは万国共通だ。


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